付箋50枚より、週3回の納期確認10パターン。営業事務の私が電話で口が動くまで

海外留学・ワーホリ

木曜の朝、受話器を取ったまま3秒固まった話

朝10時前、まだデスクにコーヒーの湯気が立っているうちに内線が鳴った。海外営業部からの転送で、シンガポールの取引先が出荷予定を早められないか確認したいという。私は受話器を握ったまま3秒間、何も声を出せなかった。頭の中には前の晩に読んだ表現集のフレーズがいくつか浮かんでいたのに、いざ相手が「Can you check the shipping date for order 4471?」と言った瞬間、そのどれもがつるりと逃げていった。

結局その電話は「Please wait a moment」だけ言って保留にし、先輩に代わってもらった。受話器を渡すとき、私の手はうっすら汗ばんでいた。デスクに戻ってから気づいたのは、私が困ったのは相手の英語が聞き取れなかったからではないという点だ。「order 4471の出荷日を確認して」という用件は理解できていた。詰まったのは、そのあと自分が「確認して折り返します」とすら言えなかったことにある。

その日から私は、電話で自分の口が止まる瞬間を1つずつ記録し始めた。付箋を貼って満足していた読書型の勉強から抜け出すきっかけが、この3秒の沈黙だった。

「たくさん覚える」が営業事務の電話でだけ効かない理由

英語の勉強として真っ先に思いつくのは、語彙とフレーズを増やすことだ。単語帳を1冊、ビジネス表現集を1冊。私も5年前からその発想で何度も本を買った。けれど営業事務の電話に限って、この積み上げ方式がまるで機能しないことを痛感している。

理由は場面の狭さにある。私が英語で電話に出るのは月に多くて8回、少ない月は3回。話題は出荷、納期、発注数、請求書、在庫のどれかにほぼ収まる。会議で意見を述べることも、雑談で盛り上がることもない。それなのに市販の表現集は、会議もプレゼンも接待も全部カバーしようとする。550ページのうち、私の職務に直接効くのはせいぜい15ページだった。

覚えた数と口が動く速さは比例しない

付箋を50枚貼った週、私は自分がずいぶん賢くなった気でいた。ところが本番で口から出るのは、覚えた50個のどれでもなく、いつも同じ4つか5つだけ。人間の口は、繰り返し声に出したものしか反射で出てこない。黙読で頭に入れた文は、本番でゼロから組み立て直す作業になる。相手が待っている電話口で、脳が文を一から組み立てる余裕などない。

「量を減らして深く」に切り替えた日

私は表現集を閉じ、白紙のノートに自分の職務で本当に飛び交う場面だけを書き出した。全部で10場面。それも頻度順に並べた。1番上は納期確認、2番目が発注数の変更、3番目が出荷遅延の連絡。この3つで、私の英語電話の7割が説明できた。残りの7場面は月に1回あるかないか。まず上位3場面の英文を、口が勝手に動くまで作り込むと決めた。

頻度順に10場面を並べたら、勉強の中身が変わった

ノートに書き出した10場面は、そのまま優先順位になった。頻度を数字で見える形にしたことで、どこに時間を使うべきかが一目で分かった。

納期確認が月に5回前後、発注数の変更が3回、出荷遅延の連絡が2回。ここまでで月10回の電話のうち8回をカバーする。私はこの3場面の英文だけを、通勤電車の25分と昼休みの15分、1日あわせて40分ずつ声に出して練習した。声に出す、というのが肝心だった。黙読では口が覚えないと、あの3秒の沈黙で骨身に染みていたから。

納期確認は2段構成の型で固定する

納期を確認する電話は、いつも同じ形をしている。今どうなっているかを述べて、こうしてほしいと頼む。この2段さえ固定すれば、あとは数字を差し替えるだけで済む。私が用意した型はこうだ。「The order is currently scheduled for the 15th. Could you move it up to the 10th?」。前半で現状、後半で希望。日付を入れ替えるだけで、ほとんどの納期交渉がこの1本で回った。

型を持つ強みは、本番で考える要素が1つに減ることだ。文全体をゼロから組もうとすると頭が真っ白になるが、型があれば「変えるのは日付だけ」と分かる。応答までの時間が3秒から1秒未満に縮んだ。あの朝の沈黙を思えば、この差は大きい。

発注数の変更は分岐を先に決めておく

発注数の変更は、増やすのか減らすのか、品目を差し替えるのかで返す文が枝分かれする。私は3つの分岐それぞれに1本ずつ英文を用意した。増やすときは「We’d like to add 50 units to the previous order.」、減らすときは「Could we reduce the quantity from 200 to 150?」、品目を替えるときは「We need to switch item A to item B, keeping the same delivery date.」。本番でどの分岐かを判断するだけで、あとは口が動く状態にしておく。

作った英文が本番で出てこないのは、練習の場所が足りないから

型を10個作り終えた週末、私は完璧に準備できた気でいた。ところが月曜の電話で、また詰まった。ノートには書けている文が、口からは半分の速さでしか出てこない。原因はすぐ分かった。私はその文を、一度も人に向けて声に出したことがなかった。

黙読で完成した文は本番で失速する

頭の中で組み立てた文と、実際に口が動く文は別物だった。黙読で「完成した」と思った文でも、口の筋肉はその文を発音した経験がない。だから本番でつっかえる。私が試したのは、通勤電車で口の中だけ動かす練習と、家に帰ってから壁に向かって実際に声を出す練習だ。声帯を使うと、黙読では気づかなかった発音の詰まりが見えてくる。「currently」の後半で毎回もつれることに、声に出して初めて気づいた。

声に出す相手がいないという壁

ひとりで壁に向かって話しても、相手の返事は返ってこない。営業事務の電話でいちばん怖いのは、私が用意した文に対して相手が予想外の質問を返してくることだ。この分岐こそ、ひとりの練習では絶対に埋まらない空白だった。壁は何も聞き返してこない。私が「納期を10日に早められますか」と言えば、生身の相手なら「その場合は追加料金がかかりますが大丈夫ですか」と返してくるかもしれない。その一手が予測できないまま本番に臨むから、想定外の質問で会話が止まる。

私は英会話のオンラインレッスンで、講師に取引先の役をやってもらう形に切り替えた。「あなたは私の会社のシンガポールの取引先です。私が納期を早めてほしいと頼むので、断ったり条件を出したりしてください」と最初に頼む。すると講師は毎回違う角度から返してくる。この予測不能な返しに慣れることが、私にとっての本番練習だった。

相手の追加質問は、実は3パターンに絞れる

オンラインで役割練習を10回ほど重ねて分かったのは、取引先が納期の話で返してくる質問は、思ったより限られているという事実だった。無限にあると怯えていたのに、実際は3つに集約できた。

返ってくる質問は「可否」「条件」「理由」の3方向

1つ目は可否。「早められるかどうか確認して折り返します」というパターン。2つ目は条件。「早めるなら追加料金が発生します」というパターン。3つ目は理由。「なぜ早めたいのですか」と聞かれるパターン。この3方向それぞれに、私は返す文を1本ずつ持つことにした。可否には「When can you confirm?」、条件には「How much would the extra cost be?」、理由には「Our client moved up their launch date.」。

3方向に備えができると、本番の会話が急に怖くなくなった。相手がどう返してきても、私の手元には対応する文がある。全部の可能性に備えるのは無理でも、7割の可能性に備えるのは40分の練習で届く範囲だった。

聞き取れなかったときに会話を止めない一手

それでも相手の返しが速すぎて聞き取れないことはある。以前の私は、聞き取れないと頭が真っ白になって黙り込んでいた。今は聞き返す文を固定している。「Sorry, could you say that again more slowly?」。この1文があるだけで、聞き取れなくても会話が止まらない。聞き返すのは失礼だと思い込んでいたけれど、生身の相手に何度も聞き返して練習したら、むしろ相手は快くゆっくり言い直してくれると分かった。

その場で答えられない質問は持ち帰る文で受ける

在庫数や正確な金額など、私がその場で答えられない質問もある。ここで無理に答えようとして黙り込むのが最悪だった。用意したのは「Let me check with our team and get back to you by tomorrow.」。確認して明日までに折り返す、と言えれば、その電話はそこで完結する。あの朝、私がこの1文を言えていれば、先輩に代わってもらう必要はなかった。

使う場面から逆算すると、留学という選択肢が現実になる

10場面のうち上位3つを固めた頃、私は自分の限界にも気づいた。役割練習の相手をしてくれる講師は、あくまで練習相手だ。実際の職場で英語を日常的に浴びる環境とは違う。30歳まであと3年を切った今、腰を据えて英語を使い切る環境に一度身を置いてみたい気持ちが強くなった。

そこで気になったのが、留学という選択肢だ。以前の私なら費用が怖くて選択肢にすら入れなかった。でも使う場面から逆算する考え方に慣れた今は、留学もまず見積もりから逆算できると思えるようになった。国や期間で費用がまるで違うから、思い込みで諦める前に実際の数字を知りたい。無料で見積もりが取れるなら、動く前の判断材料が手に入る。

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ひとりで抱え込む前に、空白を外から診てもらう

独学のいちばんの盲点は、自分が避けている場面に自分では気づけないことだった。私は納期確認は練習したのに、価格交渉の場面を無意識に避けていた。苦手だから練習リストから外していたのだ。この抜けは、外の目に指摘されて初めて見えた。

留学するかどうかを決める前に、自分の英語のどこが空白かを一度プロに整理してもらうのは無駄にならない。何のために英語を使いたいのか、どの場面で詰まるのかを話すだけで、進むべき方向がはっきりする。私は無料カウンセリングで自分の職務の話をして、留学が必要な段階なのか、まだオンラインで足りるのかを一緒に考えてもらった。

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崩れた英語でも会話が回れば、営業事務の仕事は果たせる

10場面を練習し始めて2ヶ月が経った頃、また同じシンガポールの取引先から電話が回ってきた。今度は保留にしなかった。「You want to move up the shipping date, right? Let me check the current schedule.」。文法は完璧じゃなかったし、途中で単語を1つ言い間違えた。それでも会話は止まらず、私は必要な情報を聞き出して、確認して折り返すと伝えて電話を切った。

受話器を置いたとき、あの朝の3秒の沈黙を思い出した。あのときと同じ用件だったのに、今回は自分ひとりで最後まで応対できた。崩れた英語でも、会話さえ回れば職務は果たせる。完璧な発音も、豊富な語彙もいらなかった。要るのは、自分の職務で週に3回出てくる文が、口から反射で出てくる状態だけだった。

残りの7場面は、まだ完成していない。でも上位3つが回るようになってから、残りの場面も本番で作りながら覚えられるようになった。土台の3場面が反射で動くと、脳に余裕が生まれて、新しい場面にもその場で対応できる。付箋50枚を眺めていた5年前の私には、この感覚は想像もできなかった。

今の私が過去の自分に言うとしたら、こうだ。表現集を1冊覚えようとするのをやめて、自分の机の上で月に何度も繰り返される場面だけを、頻度順に10個書き出しなさい。そして上位3つを、口が勝手に動くまで声に出しなさい。それが、電話が保留にならなくなるいちばんの近道だった。


付箋の枚数は、私の英語を1ミリも前に進めていなかった。動き始めたのは、自分の職務の10場面を頻度順に並べ、週3回出てくる文を口が覚えるまで声に出してからだ。30歳まであと3年。使う場面から逆算する考え方は、日々の練習だけでなく、留学するかどうかの判断にも同じように効いている。まず数字を知る、まず空白を診てもらう。動く前の一手が、私を保留ボタンから遠ざけてくれた。


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