金曜の夜21時、ノートパソコンの前でエクセルのタブを7つ開いていた。仕事終わりにコンビニで買ったサラダを横に置いたまま、フォークをつける気にもならなかった。画面には5つの学校名が並び、それぞれの費用と授業時間、寮の写真、口コミの点数が細かく入力してある。2ヶ月かけて集めた情報だった。営業事務の仕事で見積もりの整理には慣れているから、比較表を作る作業そのものは苦労しなかった。むしろ得意分野だ。
けれど表が完成したその夜、私はフォークを持てないまま画面を見つめていた。どの学校が一番いいかは、点数の合計で機械的に決められる。そこまでは進んだ。問題はその先だった。5校のどれを選んでも、帰国して3ヶ月たった自分がどうなっているのか、この表からは1行も読み取れない。埋まっていない列があることに、私はようやく気づいた。
5校を数字で並べたら、比べていた項目が全部「行っている間」の話だった
調べた5校を、いま手元の表から書き写す。セブの大型校Aは1ヶ月22万円でマンツーマンが1日5コマ。生徒数が多くて設備が整っているのが売りだった。スパルタ型のBは19万円と安いけれど、平日は校外に出られない。語学特化の小規模校Cは26万円でマンツーマン1日7コマ、密度が高い。格安をうたうDは18万円。ビジネス英語に振ったEは28万円で、社会人の受講が多いと書いてあった。
費用の幅は18万円から28万円で、開いても10万円。授業のコマ数は5から7の間に収まる。表を作る前は、この差が学校選びの決め手になると思っていた。ところが数字を並べてみると、どこを選んでもだいたい似たような英語漬けの1ヶ月が待っているだけだった。差は思ったより小さかったのだ。
口コミ120件を読んで、低評価まで「現地は良かった」と書いていた
次に体験談を読み込んだ。5校ぶんで120件を超えた。深夜まで読み続けて、途中から手が止まった。星2つの低評価レビューですら「先生は本当に熱心だった」「3週間で口が動くようになって驚いた」と書いてある。現地での満足度は、どの学校のどのレビューでも異様に高い。
その満足の文章の数行あとに、同じ人がこう続けていた。「ただ帰国してから使う場面がなくて、半年でほとんど戻ってしまいました」。この一文が、5件や10件ではなく、何十件も繰り返し出てくる。私の比較表には費用の列も授業時間の列も寮の写真の列もあったのに、この一文を測る列だけがなかった。フィリピン留学ナビで見た紹介ページも、現地の充実ぶりは細かく書いてあるのに、帰った後の暮らしには触れていなかった。
点数で1位になった学校を選べない自分に気づいた
試しに全項目を点数化して合計を出したら、語学特化のC校がトップになった。1日7コマで密度が高く、口コミの現地満足度も高い。数字だけ見れば申し込めばいい。でも私はマウスを動かせなかった。C校で3週間しゃべり倒したあと、東京に戻った私が何を話す相手もいない請求書処理の毎日に戻る絵が、はっきり浮かんでしまったからだ。表の1位は、私の半年後を何も保証していなかった。
「有給で行ける」という文句を喜んでいた自分が一番あぶなかった
社会人向けの紹介文で必ず出てくるのが「会社を辞めずに行ける」だった。有給とゴールデンウィークを組み合わせれば2週間、長期休暇を取れれば1ヶ月。私も最初はこの一文に飛びついた。退職せずに英語をものにできるなら、こんなにありがたい話はないと本気で思った。5月の連休なら11連休が取れそうだと、カレンダーを何度も数えた。
辞めなくていいということは、戻る席がそのまま残るということ
けれど比較を進めるうちに、この文句の裏側が見えてきた。会社を辞めずに行けるということは、戻る場所がまるごと残っているということでもある。私が戻るのは、英語を1度も使わない営業事務の席だ。請求書の入力、電話の取次、社内の日本語のやりとり。セブで1日7コマのマンツーマンを浴びても、羽田に降りた瞬間にその環境は消える。翌朝には請求書のフォーマットを開いている。
むしろ授業が濃い学校を選ぶほど、この落差は深くなる。1日8時間しゃべっていた人が、翌週から英語を話す時間が0の生活に戻る。この落ち込みを支える仕組みは、どの学校のパンフレットにも1行も載っていなかった。学校が売っているのは、飛行機に乗っている期間の充実だった。降りた後に立つ床は、どこにも用意されていない。
2週間で身についたものが、いつまで持つのかを誰も書いていない
気になって、留学経験者のブログをさらに10件ほどたどった。「3週間でTOEICが80点上がった」という報告はいくつもあった。でも「その80点が半年後どうなったか」を書いている人は、ほとんどいなかった。行った直後の伸びは記録されるのに、その後の減衰は記録されない。私が知りたかったのは、行っている間の急上昇より、帰った後にどれだけ残るかだった。表を作り直しても、その列を埋める材料が世の中に転がっていない。
「目的を明確に」の助言に従って、目的を書き出したら手が止まった
どのサイトにも「留学前に目的を明確にしましょう」と書いてあった。素直な性格なので、私はノートを開いて目的を書き出した。「海外旅行で困らない英語」「会議で発言できる英語」「字幕なしで映画を見る」。書きながら、どれも間違っていない気がした。同時に、どれも締め切りのない願いだと気づいてしまった。
解像度の高い目的と、期限のある目的は別物だった
「会議で発言できる英語」は、目的としては具体的だ。場面が浮かぶし、必要なフレーズも想像できる。でもこの目的には「いつまでに」がない。いつまでに発言するのか、その会議は実在するのか。私の職場に英語の会議はない。つまり私が書いた目的は、現実のカレンダーのどこにも刺さっていなかった。ただの願望を、目的という言葉で立派に見せていただけだった。
過去に英語アプリを入れたときのことを思い出した。毎朝の通勤電車で15分やると決めて、最初の週は続いた。2週目に1度サボり、3週目には開かなくなった。アプリが悪かったわけではない。25分の教材も、10分の教材も試したけれど、結果は同じだった。共通していたのは、やらなくても誰も困らなかったことだ。締め切りのない練習は、私の場合いつも同じ落ち方をした。
1度だけ続いた期間には、逃げられない予定が刺さっていた
逆に、英語の勉強が1度だけ続いた時期がある。学生のとき、交換留学生のバディを任された2ヶ月だった。来週その子と会って街を案内する、という予定が毎週入っていた。案内できないと相手が困る。だから前の晩に必死で言い回しを調べた。あのときの私は、目的を明確にしたから続いたのではない。来週の水曜という締め切りが、勝手に机に向かわせていた。
フィリピンの学校が用意してくれるのは、英語を浴びる環境だった。7コマのマンツーマンも、24時間英語の寮も、確かに強力な環境だ。けれど帰国後の私に、来週の水曜のような締め切りを渡してはくれない。環境は空港で降りた瞬間に消えるけれど、締め切りは持ち帰れる。私が探すべきだったのは、行っている間の環境より、帰ってからも自分を机に向かわせる予定のほうだった。
足場は外すために組むのに、外した後に立つ床を誰も渡してくれない
ビルを建てるときの足場を思い浮かべた。足場は工事の間だけ組まれて、完成したら外される。外した後には、ちゃんと自分で立つ床がある。だから足場を外していい。フィリピン留学は、この足場によく似ていた。1ヶ月かけて口を回す足場を組んでくれる。問題は、その足場を外したときに立つ床が、私の生活には最初からなかったことだ。
回り出した口は、環境が消えると同時に止まる
体験談を読み返すと、その通りのことが書いてあった。「帰りの空港では英語で店員と話せたのに、1ヶ月後には言葉が出てこなくなった」。回り出した口は、環境という足場に支えられていた。足場が消えれば、支えを失って止まる。これは意志が弱いとか努力が足りないという話ではなく、支える床がないところに足場だけ組んだ結果だと思う。
私が2ヶ月かけて比べていた5校は、どこも優れた足場を提供していた。だから比較しても意味がなかったわけではない。ただ、比べる前に用意しておくべきものを飛ばしていた。足場の質を10段階で採点する前に、床があるかどうかを確かめる作業を、私は丸ごと抜かしていた。
必要だったのは「現地で頑張れ」より「帰国後に話す予定を先に置け」だった
ここまで来て、自分への処方箋がやっと見えた。留学の申し込みボタンを押す前に、帰国後の週に英語を話す予定を先に埋めておく。オンライン英会話を週3回、火曜と木曜と土曜の22時に予約しておく。その予約が、来週の水曜のバディと同じ役割をしてくれる。足場を外しても崩れない床を、行く前に組んでおく。順番はこうだったのだ。
ネイティブキャンプの留学プランを調べていて、この順番を意識しているサービスがあることを知った。オンラインで日常的に話す習慣を持ったうえで現地に行き、帰ってからもそのオンラインに戻る。足場と床がつながっている。まずは費用の見積もりを取って、帰国後にいくらの床を維持できるかから逆算するのが現実的だと思った。
27歳という数字が、比較の夜に急に重くのしかかった
エクセルを閉じかけたとき、右下の日付が目に入った。あと3年で30歳になる。20代のうちに英語をものにするという、いつからか自分に課していた期限が、急に現実の重さで迫ってきた。この2ヶ月、私は5校の点数を0.1点単位で比べていた。その2ヶ月で、帰国後の床については1度も手を動かしていなかった。
比較を続けている限り、1日も英語には近づかない
気づいてしまうと怖かった。比較表を磨くほど、仕事をしている気分になる。項目を増やし、口コミを追加し、レートを更新する。作業は充実している。でもその2ヶ月で、私の英語力は1ミリも動いていない。比べる行為は、始めない言い訳として都合がよすぎた。完璧な学校を選ぶまでは失敗しない。選ばない限り、失敗もしないかわりに、1歩も進まない。
あの英語アプリを3週間で閉じたときと、構図が似ていた。あのときも「もっと自分に合う教材があるはず」と探し続けて、探している間は勉強しなくて済んだ。探すこと自体が、始めないための避難場所になっていた。5校の比較表は、その避難場所の豪華版だった。
30歳の私は、比べ続けた3年か、床の上に立っていた3年か
紙に2つの未来を書いてみた。1つは、これからも半年ごとに新しいおすすめ校を比べて、いつか行くと言い続けて30歳を迎える私。もう1つは、今月オンライン英会話で週3回の予定を組み、その床の上に留学を1回のせて、話す習慣を持ったまま30歳になる私。どちらの3年を選ぶかは、学校の点数とは関係のないところで決まっていた。
25万円を振り込む前に、出口があれば続くのかを無料で試す
結論として、私はエクセルの5校比較をいったん脇に置いた。捨てたわけではない。順番を入れ替えただけだ。25万円を振り込む前に、帰国後の床が本当に機能するのかを、まずお金をかけずに確かめることにした。
先にオンラインで週3回の予定を組んで、続くかを見る
やることを決めた。火曜と木曜と土曜の22時に、オンライン英会話を予約する。この予定が2週間続くなら、私には帰国後の床を維持する力がある。続かないなら、いくら現地で口を回しても半年後に戻る。だったら、25万円を出す前にこの2週間で自分を試したほうが安い。留学の申し込みは、この2週間を通過してからでいい。
ネイティブキャンプの留学プランなら、オンラインで習慣を作ってから現地に行き、帰国後も同じオンラインに戻れる。行っている間だけの足場ではなく、前後がつながっている。まず無料の見積もりを取って、帰国後にいくらの床を毎月維持できるか、そこから逆算して留学の予算を決めるのが、私には一番腑に落ちる順番だった。
留学全体を見渡せる相談で、30歳前の助走に位置づける
とはいえ、オンラインだけで留学の全体像がつかめるわけではない。現地の学校選びや費用の相場は、経験者に直接聞くのが早い。フィリピン留学ナビの無料相談会は、費用や期間だけでなく、社会人がどう仕事と両立しているかまで具体的に聞ける場だった。私は、帰国後の床の話をこちらから持ち込んで、それを前提に学校を選べるかを確かめるつもりで申し込んだ。
比べていた2ヶ月を、次は助走に変える
5校を比べた2ヶ月は、無駄だったとまでは思わない。おかげで、比べる前に確かめるべきものがあると気づけた。費用の10万円差でも、コマ数の2つの差でもなく、帰った後に自分を机に向かわせる予定があるかどうか。それが最初に埋めるべき列だった。今夜、私はエクセルを閉じて、カレンダーアプリを開いた。来週の火曜22時に、まず1つ予定を入れる。5校の点数を眺める3年を過ごすか、その予定の積み重ねの上で30歳を迎えるか。手を動かす先を、ようやく間違えずに済みそうだ。
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