同期の年収が60万円上がった理由を、私はモチベで探していた

英語学習法

木曜の夜22時半、給湯室で洗い物をしていたら、隣の部署の同期の名前が聞こえてきた。貿易部門に移った彼女が、来期から査定の枠が変わるらしい、と。年収にして60万円ほど上がる、と誰かが言った。私はコップを持ったまま、しばらく動けなかった。彼女と私は入社が同じで、配属も同じ営業事務だった。分かれ道がどこにあったのか、そのとき私には見当もつかなかった。

帰りの電車で、スマホに勉強のやる気の出し方を打ち込んでいる自分に気づいた。同期の60万円と、私が探しているやる気の間には、どうつなげても線が引けなかった。彼女はやる気があったから昇給したのだろうか。たぶん違う。私が本当に知りたかったのは、モチベーションの上げ方ではなかった。彼女と私を分けた1手が何だったのか、それだけだった。


同期が上がって私が止まった、その差は熱量ではなかった

彼女が特別に努力家だったかというと、正直そういう記憶はない。ランチも一緒に行ったし、飲み会では締め切り前の愚痴をこぼしていた。私と同じように、疲れた顔で定時後の残業をこなしていた。だから彼女の昇給を聞いたとき、最初に浮かんだのは「そんなにやる気があったんだ」という誤解だった。

あとで直接聞いてみて、その誤解は崩れた。彼女は貿易部門への異動募集が出たとき、応募条件にTOEIC600点と書かれているのを見て、締め切りまでの3ヶ月で受けにいっただけだった。600点は英語が得意な人の点数ではない。半年前まで彼女の英語力は私と大差なかった。違ったのは、応募締め切りという逃げられない日付が目の前にあったこと。その1点だけだった。

やる気で説明しようとすると、答えが永遠に出ない

私はずっと、行動する人としない人の差を熱量で測ろうとしていた。あの人はやる気があるから続く、私はやる気が出ないから続かない。この見方でいる限り、私にできることは「やる気を出す」しかなくなる。そして、やる気は蛇口をひねって出るものではないから、いつまでも待つことになる。

彼女を動かしたのは熱量ではなかった。3ヶ月後に応募締め切りが来る、その日までに600点がないと応募すらできない、という外側の事情だった。彼女の内側に何か特別なエンジンがあったわけではない。外に締め切りが置かれていた。私の周りには、それがなかった。

差の正体は、いつまでにやるかを誰かに握られているかどうか

締め切りには2種類ある。自分で決めた締め切りと、他人に握られた締め切りだ。自分で「年内にTOEIC700点」と決めても、達成できなくても誰も困らない。だから静かに延期される。異動募集の締め切りは違う。逃せば枠が閉じ、次の機会がいつ来るか分からない。彼女はその後者を掴んだ。私が5年間手にしてこなかったのは、まさにこの他人に握られた締め切りだった。


「まず単語から」が私の英語を5年止めていた理由

英語をやり直そうと思うたび、私が最初に開いたのは単語帳だった。基礎が大事、土台がないと会話も読解もできない、と多くの記事が書いていたからだ。もっともらしい。だから私は3冊の単語帳を買った。1冊目はABCの最初の50ページだけ、2冊目は色分けの美しさに惹かれて買い、3冊目に至っては封も切っていない。

単語帳が終わる日は、いつまでも来ない

単語帳の問題は、終わりが見えないことだった。2000語覚えても、その先に3000語、6000語と続く。どこまでやれば「使える」のか、単語帳自体は教えてくれない。私は毎晩25分ほど単語アプリを開いては、昨日覚えたはずの単語を忘れている自分に落胆した。前に進んでいる実感がまるでなかった。

会話をする相手がいれば、覚えた単語がその日のうちに使われて記憶に定着する。相手がいない単語暗記は、使う予定のない道具をただ磨いているようなものだった。磨いても磨いても、出番が来ない。だから飽きた。飽きたのを、私はやる気の問題だと思い込んでいた。

「土台ができてから会話」の順番が先送りを生む

単語と文法の土台ができてから会話を始める、という順番を信じている限り、会話の日は永遠に来ない。土台に完成の基準がないからだ。第二言語習得の考え方でいうと、覚えたことを実際に使って初めて言語は定着していく。インプットとアウトプットを分けて、まずインプットを積み切ってから、という進め方は効率が悪い。

私が5年前に単語帳を積み上げたとき、もし週に1回でも英語を話す相手がいたら、覚えた50語はその場で使われて残っていたはずだ。相手がいないまま暗記だけを続けたから、覚えては忘れ、覚えては忘れを繰り返して、最後に残ったのは3冊の単語帳と、自分には才能がないという勘違いだけだった。


アプリを7つ入れて、どれも2週間で消した春

去年の5月、私はスマホに英語学習アプリを7つ入れた。無料のもの、月額のもの、ゲーム感覚のもの、発音特化のもの。1つでダメでも別のが合うかもしれない、と思って手当たり次第にダウンロードした。結果、どれも2週間ほどで通知をオフにして、ホーム画面の2ページ目に追いやった。

アプリを変えるたびに、最初の数日だけ動いた

新しいアプリを入れた日は、決まって張り切った。初日は30分やる。2日目も25分やる。3日目に少し飽きて、4日目に「今日は疲れたから明日まとめて」と思い、そのまま消える。この波を7回繰り返した。アプリを変えるたびに、最初の熱だけが立ち上がってすぐ引いた。

波の正体は、目新しさだった。新しいアプリの画面や機能が珍しいうちは動く。慣れて珍しさが消えると、動かす理由も一緒に消える。私はこの目新しさを、毎回やる気だと勘違いしていた。だから切れるたびに、次のアプリを探した。やる気を補充するために、アプリを買い替え続けていたことになる。

1人で完結する仕組みは、サボっても誰も気づかない

7つのアプリに共通していたのは、私1人で完結する形だったことだ。やらなくても誰にも見られない。今日サボったことを知っているのは私だけ。だから、いくらでもサボれた。連続記録が途切れても、アプリの中の数字が0に戻るだけで、現実には何も起きなかった。

この時期に唯一まともに動いたのは、オンラインの英会話体験を予約した週だった。25分後に外国人の講師と話す約束が入っていると、その日は逃げられない。予約の時刻が近づくと、少し緊張しながらテキストを見返した。相手がいて、時刻が決まっている。この2つが揃った日だけ、私は勉強する自分になれた。


「習慣にすれば楽」という言葉が飛ばしている前段

モチベに頼るな、習慣にしろ。これも私が何度も読んだアドバイスだった。歯磨きのように英語を無意識にやれる状態を作れば、やる気は要らなくなる、と。理屈は分かる。だが実際にやってみると、習慣にする手前でつまずいた。習慣化の記事は、その手前を飛ばしていた。

習慣には引き金がいる

歯磨きが続くのは、食後や就寝前という決まったタイミングが引き金になっているからだ。朝起きて顔を洗うのも、ベッドから出るという動作が引き金になっている。英語を習慣にしようとしても、私の1日にはその引き金がなかった。仕事から帰って、夕飯を食べて、テレビをつけて、気づくと寝る時間。この流れのどこにも、英語を差し込む合図がなかった。

「毎日22時から30分」と決めても、22時は毎日違う顔をしている。残業で帰りが遅い日、疲れて先に寝たい日、友達から連絡が来た日。時刻を引き金にしても、その時刻の中身がバラバラだから、合図として弱すぎた。習慣化しろと言う記事は、この引き金の作り方を教えてくれなかった。

強い引き金は、他人との約束だった

私にとって一番効いた引き金は、他人との約束だった。オンライン英会話の予約時刻がそうだったように、その時間に相手が待っていると、私は嫌でも机に向かった。相手をすっぽかすのは気まずい。この気まずさが、私を動かす合図として一番強かった。

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やる気を探すのをやめて、今日「相手と時刻」を予約に変える

同期の60万円が熱量の差ではなかったと分かってから、私のやることは一気に減った。やる気を上げる方法を探す時間を、そっくり別のことに使えばよかった。相手と時刻を先に押さえる、それだけだった。順番を書いておく。

今日のうちに、明日の予約を1件入れる

まず、明日か明後日に英語を話す予約を1件だけ入れる。25分でいい。予約が入った瞬間、私の中に他人に握られた締め切りが生まれる。この締め切りがある日は、単語帳を開く理由も、フレーズを覚える理由も、自然に湧いてくる。相手に見せる場があると、準備という行動が意味を持ち始める。

大事なのは、やる気が出てから予約するのではなく、予約してからやる気が後追いで来る、という順番だ。私は5年間、この順番を逆に信じていた。やる気が出たら始めよう、と待っていた。予約を先に入れてしまえば、やる気を待つ必要そのものが消える。

朝の通勤で、話す中身を仕込んでおく

予約した相手と何を話すか、朝の通勤時間に仕込んでおくと夜が楽になる。私は日常会話のフレーズを電車の中で軽く見ておくために、スタディサプリENGLISHの新日常英会話コースを通勤の20分に回した。ドラマ仕立てのストーリーで進むので、参考書のように途中で飽きて閉じることがなかった。夜の会話で使えそうな言い回しを、朝のうちに1つか2つ拾っておく。

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朝に中身を仕込み、夜に相手へ出す。この往復が回り始めると、単語帳を1人で磨いていたころとは記憶の残り方がまるで違った。朝拾ったフレーズを夜に使うと、その日のうちに自分のものになる。翌朝また新しいフレーズを拾う。この小さな回転が、私の中で止まらなくなった。

3ヶ月後に外側の締め切りを1つ置く

日々の予約に加えて、少し先に大きな締め切りを1つ置く。私は同期にならって、貿易系の求人が求めるTOEIC600点を3ヶ月後の受験日に設定した。試験の申し込みを済ませてしまえば、受験料を払った日付が動かせない締め切りになる。この大きな締め切りが、日々の小さな予約を貫く芯になった。

受験日という他人の都合で決まった日付があると、逆算が始まる。3ヶ月で600点なら、今週やることが決まる。今週やることが決まれば、今日やることが決まる。今日やることが決まれば、やる気を探している暇はなくなる。私の夜は、探す夜から動く夜に変わっていった。


探し続けた5年と、探さなくてよくなった今の違い

やる気の出し方を検索していたころの私は、検索するたびに何かを始めた気になっていた。記事を読んで、なるほどと頷いて、ブックマークして、そのまま寝る。翌週また同じ言葉を検索する。この繰り返しに5年をかけて、手元に残ったのは開いていない単語帳と、消したアプリのアイコンだけだった。

探すのをやめてからの私は、検索窓を開く回数が激減した。開いても、探すのは今日話す相手の予約枠か、明日仕込むフレーズの中身だ。やる気は探す対象ではなくなった。予約が入っていれば動く、それだけの単純な話に戻った。同期が特別だったのではない。彼女の前に締め切りがあって、私の前になかった。それだけの違いだった。

27歳の今、30歳まではまだ3年ある。その3年をまた探すことに使うのか、それとも今日のうちに明日の予約を1件入れるのか。同期の60万円は、熱量ではなく、たった1つの締め切りから生まれた。私の前に締め切りを置けるのは、今日の私だけだ。給湯室で動けなかったあの夜から、私はやっと、探すのをやめる側に回った。


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